連珠の誕生とルールについて
世界各地で古くから楽しまれてきた相手より早く五つ連続して石を並べる遊びを、 日本では「五つ並べ」「五目並べ」などと呼び、親しまれてきました。 しかし少し慣れてくると黒 (先手) が勝ち続けるため、 黒だけ三々を禁手にし、用具を19道の囲碁盤から15道の連珠専用盤にするなど、 黒白の均衡を保つ工夫が取り入れられ、ルールが定められてきました。 五目並べは今でも全国的に楽しまれていますが、 競技として成立するように定められたものが連珠です。
日本での連珠の起源は、一説では平安時代とも言われています。 平安朝の絵巻物の中で、烏帽子を被った男性同士が囲碁盤で盤端に近いところに 白石黒石を置いて遊んでいる (囲碁と思われる) 御簾の外側で、 十二単衣の女官同士が白石黒石を盤の中央部分に置いて遊んでいる (連珠と思われる) 絵があるからです。 史料として現れるのは江戸中期の1700年代中頃で、 二条家の出入り商人第十代桑名屋武右衛門がこの技に優れ、 民間に拡がったとされています。 江戸後期幕末の1850年頃には書籍も発刊されています。
「連珠」という名称は、 高山互楽 (黒岩涙香の号 = のちの第一世名人) 師が主宰していた 「萬朝報」紙上で明治32年に五つ並べの名称を募集し発表したものです。 いまでは「RENJU」として世界的に知られています。
連珠ルールの変遷は、黒白互角に戦える条件の追求でした。 黒のみ三々、長連が禁手とされ、その後連珠専用の15道盤が導入され、 さらに黒の禁手に四々が加えられました。 すなわち「基本ルール」を固めたわけです。
さらに、基本ルールだけでは黒白の均衡が保てない、 すなわちそれでもまだ黒必勝であることが解明されました。 そのため、序盤の打ち方を制限する「開局規定」の整備も進み、 現在でも黒白互角に戦える条件が模索され続けています。
平成8年から現在まで採用されている「珠型交替五珠2題打ち」は、 黒白均衡化という点では優れているものの、研究が進むにつれて 珠型 によっては ある手数までは定型化された手順ばかりになってしまったり、 特定の珠型に偏ってしまったり、欠点も指摘されるようになりました。 そうした背景から、近年さらなる開局規定変更の機運が高まりました。
いまや世界に普及した連珠の攻防の妙、魅力をより拡大し、 競技としても発展させていくため、 RIF (連珠国際連盟) は 2008年5月に新たな開局規定を追加しました。 「珠型五珠題数提示選択打ち」 「四珠交替打ち」 「五珠交替打ち」 の3つです。 また、「除外システム」も認定しました。 2012年9月まで世界各国の公式戦でこれらの開局規定を併用し、 そのデータを解析して将来の開局規定を定める予定です。
こうしたことから、 連珠には基本ルールと開局規定の両者があり、 開局規定は時代と共に見直されていることをご認識ください。 基本ルールには「対局規定」も含まれています。
古書
連珠を愛好する者にとって、連珠がどのように歴史の中に現われ、 三々の扱い等のルールがどのように変遷してきたか、 そして世の中にどのように受け入れられていたのか等は、 興味があるところです。 また、古き時代から様々な連珠関連図書が世に出されてきました。 ここでは皆様からのご協力を得ることでその種の情報を提供してもらい、 下記のページにまとめております。